2025年03月13日公開
中国企業法務の軌跡(9)~労働争議(後半)~
J&Cドリームアソシエイ 大澤頼人
5. 逮捕者
X市のB社の労働争議は収束の兆しを見せず我々も会社から出ることもできないまま中庭で毎日行われている従業員代表大会を眺めていました。1000名近い従業員が交代で参加しているようでしたが集まってくるのはその半分程度です(後で分かりましたが従業員は交代で同業他社の工場でアルバイトをしていたようです)。
我々が待機している部屋は幹部社員だけが入れる部屋でしたが、ある日、見知らぬ男性がいることに気づきました。地元のX市政府の公安警察でした。労働争議の規模が大きいので地域の治安問題として省長が気にしていること、省長の指示により地元のX市政府の上級にあたるY市政府の公安警察が管轄していること、情報はY市政府から省政府に報告されている、何かあれば規制するから心配しなくていいという話でした。
そういうことがあった数日後のある日、全員が集まる従業員大会が開催されることになりました。すると大勢の公安警察が会社の正門前に集まってきました。ずっと監視していたのかどうかわかりませんが情報は公安警察に流れていたようです。公安警察は会社の敷地から出るなと警告していますが、その日は全従業員が参加していたため会社の敷地に収まらず道路まで従業員が溢れていました。道路にあふれた従業員たちは公安警察の隊列と押し合うようになりました。押し合いは激しくなり怒声が飛び交います。公安警察は道路での集会は違法だと警告しています。会社の工場従業員は全員が近辺の農家から働きに来ている女性たちでパワフルでした。公安警察と押し合いになり公安警察につかみかかった3人の女性が逮捕され、どこかに連れていかれました。逮捕は従業員に大きなショックを与えました。娘が逮捕された両親は会社で泣き叫び、母親が逮捕された子供は我々が公安警察を呼んだと怒ります。

(労働争議が会社の外に出ないよう横断歩道で規制する公安警察)
我々はこの3人を釈放させるために奔走することになりますが、誰がどこに連れ去られたのかわかりません。X市の公安警察に聞いても分からないと言われました。X市政府の上級政府であるY市の指示(実質は省長の指示)により複数の公安警察が鎮圧に関わったようです。そのため拘留場所が複数にまたがっていたのですが、それを統括しているのがどこなのか我々には知る術がありません。日本と全く違います。
翌朝になって3人が拘留されている場所が分かり、会社の幹部社員と一緒に釈放のお願いをし、2人はすぐに釈放されましたが、残りの1人は公安警察官を蹴ったという理由で解放してくれません。そこで中国的な「罰金」(実質は袖の下」を渡して最後の1人が解放されました(当然、領収書はありません)。コラム第5回でも紹介していますが、中国には「档案」という政府が管理する個人情報の記録があります。事情は別にして公安警察に逮捕された記録は一生涯消えません。
6. 従業員は雇用の継続よりも解雇を希望
労働争議がなかなかおさまらないので、クリスマスイブの日、持分を譲り受ける予定のY氏が従業員代表大会に登場しました。Y氏は同じ条件で雇用を継続すること、製品はB社の親会社A社が全品買い取るから経営は安心してよいと説明し、労働争議を終結するよう求めました。しかしこの説明を信用する従業員はいません。
中国では会社を解散・清算する手間を回避するため、会社を整理する目的で持分を買い取る整理稼業の会社があります。こういう場合、タダ同然で持分が譲渡される事例は珍しくありません。そのような会社に譲渡されると雇用条件が急激に悪化して自主退職せざるを得なくなったり、わずかな経済補償金で解雇されたりするようなことがあります。そういう中国の事例を従業員たちは知っているので株主が交代する持分譲渡に反対します。日本人からみると株主が変更するだけで会社の経営は維持されると思いがちですが、中国では事情が違います。
Y氏が登場したこの日、従業員代表大会は雇用の継続よりも自分たちを解雇して経済補償金を支払うよう要求をしてきました。会社の都合によって従業員を解雇するときは労働契約法に従い経済補償金を支給しなければなりません。逆に自己都合で退職するときや定年退職するときには経済補償金は発生しません。特に定年間近の従業員は雇用が継続されて嫌な思いをすることを望みません(工場で働く女性の定年は法律により50歳)。B社は従業員を解雇する予定はなくY氏もその予定はありませんでしたが、労働争議の論点が次第に見えてきました。
7. 取引先の取り立て騒ぎ
長引く労働争議によって工場の稼働は止まったままです。B社の製品は日本の親会社A社に全品輸出され日本の顧客(代理店)に納品されていましたが、欠品が発生するようになり信用を失いそうになりました。そこで中国国内の同業者にB社の原材料を供給しOEM生産をお願いしました。欠品は何とか回避できる目途が立ったとき、原材料の納入業者が売掛金の回収に不安を持ち、人民法院にB社の銀行預金を差し押さえる手続きするようだという情報が入りました。そうなると給料を支払うことができなくなります。中国人幹部も危機感を持ったようで納入業者へは期限前に支払いをしました。しかし次の原材料は売ってくれません。中国法では債権回収の不安があるときは納品という債務を履行しなくても責任を問われません。工場が稼働したら原材料を納品するという約束をして在庫の原材料を使って製造再開の目途を立てました。
こういう事態になると経済補償金の原資すら危なくなります。さすがに中国人幹部も危機感を抱くようになり、年末になってようやく労働争議は収まりました。年明けの旧正月には給料のほかにボーナスを支給しますので従業員もこのままでは旧正月を迎えることができなくなると思ったのでしょう。年明けには工場を再開するということになり、我々もようやく帰国することができました。
本来、労働規約では争議中の給料は支払う必要がないのですが、騒ぎが再燃するのを避けるため満額支払いました。もっとも従業員たちは労働争議中、交代で他の会社でアルバイトをしていたようで中国人のしたたかさを痛感しました。
8. 譲渡価格は1人民元
中国の正月は旧暦ですので1月1日を除けば日本の正月三が日に当たる日も仕事をします。日本人の技術者も1月2日に工場に入ります。従業員たちは何事もなかったように仕事を始めました。この切り替えは見事というしかありません。
Y氏との持分譲渡交渉が再開し、デューデリジェンスの報告を受けました。B社の資産のうち価値ある資産は国有地の使用権しかなく、それも売却しない限りキャッシュになりません。会社を継続するためには原材料を仕入れなければなりませんが、納入業者は債権回収に不安をもっており原材料代金は先払いすることになりました。また、B社の製品を日本のA社が全品購入するという約束についても、最近はA社の売上が減少傾向であることを理由に将来的な価値は少ないという評価をされました。このようなデューデリジェンスの結果、Y氏の再建案はB社が鎮政府から借りていた2つの工場の閉鎖と経済補償金を支払って約200名の従業員を解雇すること、マザー工場を修繕し機会を入れ替えて生産効率を上げること、そして中国国内市場の開拓でした。それらのコストを譲渡価格から控除すると譲渡価格は1人民元になると言ってきました。噂に聞いた1人民元が我々に降りかかってきたということです。
もちろん親会社A社ではこれに反対する意見もありました。A社の目的は経営不振のB社を切り離すこと、経済補償金を支払うだけの内部留保は不足していること、最悪B社に破産手続を取らせる場合はA社の日本国内でのレピテーションリスクになること、等々を総合的に考慮してA社の取締役会はY氏の提案を受け入れることにしました。A社の会計処理においても、1人民元の譲渡価格はY氏への寄付行為ではなく経済的合理性があるという税務の専門家の意見も取り寄せました。
9. 撤退について思うこと
中国国内経済は購買力や生産力が低下し、さらに中国を取り囲む地政学上のパワーバランスは中国にとって決して良い環境ではありません。一方で中国抜きの事業は成り立たない産業や企業があることも事実です。中国国内の子会社が日本の親会社の連結決算に良い結果を出していない、あるいは良い結果を継続する可能性が低いのであれば親会社の株主利益を優先して苦渋の決断をしなければなりません。逆に日本の親会社に貢献しているのであれば中国事業を継続していくことになります。その判断が社内の力関係や個人的な事情で遅れることは避けなければなりません。
中国事業からの撤退には資金力、戦術、それを実行するマンパワー、そしてアウトソーシングの活用が求められます。いずれにしても痛みは伴います。
ところで、1000名の従業員がいる会社と10名の従業員会社では撤退の労力に差があるかと尋ねられることがあります。結論から言えば大きな差はありません。1000名の従業員がいる会社では従業員代表と交渉します。もし従業員代表が10人おれば10人と交渉しますが、この10人は足並みがそろっていますので実質1人と考えられます。一方、10人の従業員がいる会社では一般的に従業員代表はいませんから10人と交渉しますが、この10人はまとまっておらずお互いが牽制し、あるいは足を引っ張りあったりして1000名の従業員がいる会社より面倒なことがあります。例えば経済補償金の計算ですが、1000名の従業員がいる会社では従業員代表と合意します。従業員個々人の事情は考慮しません。一方、従業員代表がいない10名の会社では一人一人と交渉し、個々人の事情もあって条件がそろいません。1人と合意しても他の人との合意ができなければ最終解決に至りません。
中国からの撤退はロードマップが大事です。どのような作業をいつ開始するか、作業工程でどのようなリスクが想定されるか、時間とコストはどのくらいか、アウトソーシングのコストと使い方など丁寧な戦略が必要です。
<筆者プロフィール>
大澤頼人(おおさわ・よりひと)
伊藤ハムにおいて約 30 年間企業法務に携わる中で、 1997 年から中国事業にかかわる。同社法務部長(2000 年~2013 年)、同社中国常駐代表機構一般代表(2002 年)、同社中国子会社の董事、監事等を経て、2013 年に J&C ドリームアソシエイツを設立し代表に就任。日本企業の中国ビジネスやグローバルガバナンス体制作りを支援している。同志社大学法学研究科非常勤講師(2006 年~2022 年)、立教大学法学部非常勤講師(2015 年)、上海交通大学客員教授(2008 年~2011 年)、中国哈爾濱市仲裁委員(2018 年~2023 年)、上場企業の社外監査役なども歴任。