2025年01月14日公開
中国企業法務の軌跡(7)
J&Cドリームアソシエイ 大澤頼人
1. 反社会的勢力排除の意味
日本本社で作成した契約書をグローバル取引契約の雛形にする会社がありますが、たまに違和感のある契約条項を見かけることがあります。
先ず「反社会的勢力排除条項」です。日本企業同士の契約書では反社会的勢力排除条項を設けるのは一般的であり必須です。2007年の第1次安倍内閣のときに策定された「指針」で反社会的勢力という用語が公的に使用されました。これを受けて各企業は契約書や約款で反社会的勢力との関係を排除することを宣言することになりました。これは企業が反社会的勢力の資金源になってはいけないというCSRの精神を反映したものです。
このとき、反社会的勢力の定義が問題になりましたが、反社会的勢力は社会の変化によって姿や形を変えるものなので限定的に解釈することは適切ではなく、相手の属性や行為形態を見て判断するという結論に至りました。私は当時法務部長として日ごろから法律文書では定義が生命線だと言っていましたので、「反社会的勢力とは具体的には何だろう?」と唸っていたことを思い出します。今ではここは議論されることはないと理解しています。
では、中国で反社会的勢力とは何を思い浮かべるでしょうか。ある会社の法務部から「契約書はグローバルに統一したいが、中国でも反社会的勢力はいますか?」という質問を受けたことがあります。
もちろん中国にも日本の暴力団に相当するマフィア組織はあります。かつて中国には「青幇(チンパン」」という巨大な秘密結社があり、裏街道で巨大な富を得つつも蒋介石と組んで共産党と戦っていました。マフィアでもあり政治集団でもあったようです。一方、現代の中国では反社会的勢力とはマフィア組織は当然ですが、そのほか共産党一党支配に反対する民主派の人や組織、そのほか政府に容認されない主義をもつ人や組織もイメージできます。
中国憲法でも言論の自由や結社の自由は認められていますが、国家体制の建付けからすると、憲法は国の規範であり、国は共産党の「指導」を受けることになっていますから(中国語では「領導」と表記。「領導」は強制力が働きます)、共産党容認しない人や集団は反社会的勢力と扱われます。共産党が一党支配する中国の特殊な事情からすると反社会的勢力の範囲は広く属性や行為形態だけでは定義が難しくなります。どうしても同じような趣旨の条項を設けたいのであれば、中国で問題になっている贈収賄(商業賄賂を含む)や環境汚染のような法令違反を犯した企業との取引を排除するような文言にしてはどうでしょうか。勿論、広い概念の方が政府からの受けは良いでしょうが、中国では反社会的勢力と言えば様々な意味が含まれることを理解してもらえれば中国という国を理解する助けにもなると思います。
グローバルガバナンスにはボーダレスのコンプライアンス意識が求められますが、国情を無視して日本の契約書の雛型を機械的にそのまま適用するようではその会社の法務部の国際感覚を疑ってしまいます。
2. 記名捺印と署名捺印
日本の契約書では最後に「当事者双方は本契約成立の証として、本書2通を作成し、それぞれ記捺押印のうえ、各1通を保有する」などと表記します。ある会社の法務部から中国では「記名捺印」はどうするのかという質問を受けたことがあります。契約書の記名捺印は法務部の初期研修で学ぶと思いますが、「記名捺印」とは会社の住所、商号、契約権限がある人の名前(代表取締役等)を印刷(記名)し、最後に会社のルールに従って印章を押すことになります。
一方、中国では「署名捺印」が基本です。会社を代表して契約した人が自筆の署名をし最後に所定の印鑑を押します。従って契約書の最後の文面は「当事者双方は本契約成立の証として、本書2通を作成し、それぞれ署名捺印のうえ、各1通を保有する」となります。
まず印鑑ですが、中国の会社には公章印(会社印)、契約専用印、財務専用印、発票専用印があります。これを公印といい公安部門に登録されています。代表者印(会社を代表する者の印)もありますが、これは個人印としての意味しかなく会社が権利義務の主体になるような場面で使用されることはありません。日常的な取引契約では契約専用印を用いることが多く、外資系企業との契約のような大きな契約の場合は公章印が用いられることが多いと思います。また、日本では会社の代表者印は法務局で登録して実印と呼ばれたりしますが、中国では代表社印はそれほど重要視されていません。なお、契約書が複数枚になっていても割り印を押すことはありません。
公印はそれを使うべき人が厳重に管理しなければなりません。会社を解散したり持分を譲渡したりするときは必ず関係機関で登録抹消の手続きを行い現物は処分しなければなりません。悪用されるリスクがあるからです。
次に署名です。自筆のサインのことです。日本国内では契約書には記名捺印が一般的で自筆のサインは重視されませんが、中国では必ず自筆のサインを必要とします。この場合、サインをする人が会社を代表していることを証明するための授権証書(委任状のこと)を添えることがありますし、契約相手が国有企業の場合は日本企業の法人登記の謄本、その翻訳版と翻訳が正しいことの証明を求められることがあります。契約書にサインすることが日本以上に厳格に考えられており、ちょっと面倒な気もしますが、国土が狭く同質社会の日本の方が異例なのかもしれません。
サインする道具にも慣習があります(もしかしたら「通達」レベルはあったかもしれません)。墨で署名するという文化があるためか筆や万年筆を使いますが、最近は水性のサインペンも使われます。ボールペンや油性のサインペンは署名に使うことはありません。なぜそうなっているかは人によって説明が異なりますが、油性のサインペンやボールペンは消えてしまうとか形跡を残さず削り取ることができるからという理由が多いようです。特に公的機関に提出する書類では筆記道具は厳格ですので、間違えると書き直しをさせられることもあります。もっとも最近は地方によっては緩やかになってきているようですので心配であれば弁護士や政府機関に確認してみてはどうでしょうか。
署名で注意しなければならないことは本人が署名したかどうかを確認することです。例えば署名するだけのために中国に行くのは経費が勿体ないという理由から、まず日本企業が日本で契約書に署名し、次に中国に郵送して署名してもらい1通を日本へ返送するという方法を取ることがあります。この場合、署名者が実際に署名していなければ契約書の効力が発生しないというリスクがありますから、署名者が実際に署名するときは中国の弁護士など信用できる人に立ち会ってもらうのが良いでしょう。
(参照)中国民法典第490条第1項前段
当事者が契約書の形式により契約を締結する場合には、各当事者が署名、捺印、又は指印を行った時に、契約は成立する
3. 違約金条項とその上限
日本ではあまり違約金条項を見かけませんが、中国では珍しくありません。ある会社の法務部の方から「契約違反があれば損害賠償請求することができるから、わざわざ違約金まで決めなくてもいいのではないか?」とか「違約金条項はきつすぎて相手が嫌がって契約できないのではないか?」などと尋ねられたことがあります。これは日本人的発想によるものと思います。
中国の民法においても契約違反による損害が発生すれば賠償請求できますが、実際に損害を回収するためには手間と時間を要します。契約違反という事実と損害との因果関係も証明しなければなりません。中国企業の中には相手がそのような手間をかけている間に債務を履行すればいいという考え方を持っている場合もあり、社会もまたそれを受け入れているところがあります。
一方、違約金は当事者同士の合意で決まりますから、因果関係を証明する必要はなく即効性があり相手方にはプレッシャーになります。中国では特段これを敬遠する風潮は感じません。もっとも、違約金条項は相対条項なので相手にプレッシャーをかけることによる反射的効果として自分に対してもプレッシャーがかかることを忘れないようにしなければなりません。私は中国で契約実務を経験し始めたころに違約金条項をつけたことがあり、その時は「やった」と思いましたが、よくよく考えればこちら側にも負担になると気づいて慌てて撤回しようとしたことがあります。相手方からその必要はない、このままでいいと言われ、契約が履行されるまでドキドキした経験がります。今となっては笑い話ですが、契約条項は「諸刃の剣」であることを忘れないようにしたいです。
次に違約金には上限があります。民法典が改正される2021年1月1日までは契約関係には契約法が適用されており、違約金については最高人民法院の司法解釈がありました(契約法適用の若干問題に関する解釈(二)第29条)。その後、民法に関する各法を統一民法典のなかに纏める大改正がありました。その際、最高人民法院はこれまでの司法解釈を、①継続するもの、②改正するもの、③廃止するものに分類しました。違約金の上限に関する司法解釈は改正するものに含まれました。
2022年11月4日、最高人民法院は『契約編通則部分の適用に関する解釈「意見募集稿」(いわゆるパブコメ)』を公表しました。まだ正式に公布されているわけではありませんが、「意見募集稿」では違約金の司法手続における処理基準は損害額の30%を上限と公表しましたので実務でも上限30%が適用されているようです。
4. 先方の債務不履行で会社が解散した日系企業の事例紹介
昨年起きたある事件を紹介します。中国の蘇州市にある日系企業は高額の売掛金の回収ができず事業資金が不足し会社を解散することになりました。こうなるまでに債権回収に着手すれば良かったのでしょうが、相手の会社は普段通り経営しているおり、中国式の債務の履行の引き延ばしでいずれ支払ってくるものと期待したのでしょう。契約は履行するものだという法の正義は国が違うと理解の仕方も違ってきます。
実はこの話には尾ひれがついていて、会社の従業員たちは資金繰りできなかったのは総経理を含む3人の日本人の駐在員による会計不正があったからだと言って証拠をそろえて公安機関に告発しました。その結果、3人の日本人は公安機関に3か月間も拘留されることになりました。日本領事館や弁護士の尽力でそれらの証拠は偽造だと判明し解放されました。
私は経験上、中国では「厳しめが丁度いい」と思っています。それが原因で関係がこじれたことはありません。どちらかと言えば日本企業が寛容すぎるのかもしれません。我々日本人はどうも性善説なのでしょうね。
<筆者プロフィール>
大澤頼人(おおさわ・よりひと)
伊藤ハムにおいて約 30 年間企業法務に携わる中で、 1997 年から中国事業にかかわる。同社法務部長(2000 年~2013 年)、同社中国常駐代表機構一般代表(2002 年)、同社中国子会社の董事、監事等を経て、2013 年に J&C ドリームアソシエイツを設立し代表に就任。日本企業の中国ビジネスやグローバルガバナンス体制作りを支援している。同志社大学法学研究科非常勤講師(2006 年~2022 年)、立教大学法学部非常勤講師(2015 年)、上海交通大学客員教授(2008 年~2011 年)、中国哈爾濱市仲裁委員(2018 年~2023 年)、上場企業の社外監査役なども歴任。