コラム~中国企業法務の軌跡

2024年12月18日公開

中国企業法務の軌跡(6)

J&Cドリームアソシエイ 大澤頼人

1. 白い花

 日本ではお祝い事に花を贈ることが多く、新しいオフィスなどにはお祝いの白い胡蝶蘭が並べられている風景をよく見ます。胡蝶蘭には、大輪胡蝶蘭、室内で飾られるミディ胡蝶蘭、デスクの上に置くことができるミニ胡蝶蘭があります。いずれも鉢植えです。中国でもお祝い事に花を贈りますが紅い花が多いようです。

 日本にミディ胡蝶蘭の栽培ではトップクラスの園芸会社があります。胡蝶蘭の展示会ではたびたび賞を受けている会社です。その園芸会社は日本市場に限界を感じて海外に市場を求めるようになりました。そのようなときに交流のあった台湾の胡蝶蘭栽培業者から中国に進出してはどうかと勧められました。胡蝶蘭は苗を育成する工程と花を栽培する工程に分かれます。台湾の業者は台湾で苗を育成し、それを中国の子会社に輸出して花を咲かせ海外へ再輸出し成功していました。
 

 中国ではオフィスや工場の休憩室、住宅の室内に鉢植えの観葉植物が置かれている風景をよく見ます。都市部の住宅はベランダのない高層マンションが多いせいでしょうか。また私が関わったことのある縫製工場では休憩室のみならず作業場の空いたスペースにもおびただしい数の観葉植物の鉢植えがありました。一方で花の鉢植えはほとんど見たことがありませんでした。

 しかし、経済発展とともに上海などの大都会では花屋が増え始め、鉢植えの花にも関心が集まるようになってきていました。特にミディ胡蝶蘭は邪魔にならない丁度いい大きさで、日本の園芸会社は中国市場に可能性があると判断し、中国の園芸会社とミディ胡蝶蘭の花を栽培する合弁会社を設立しました。出資比率は1対1、董事長は日本の園芸会社から、総経理は中国の園芸会社から選出しました。会社法が改正される前の中外合弁企業法の時代ですから、董事長は年一回の董事会に参加するだけで、日常の経営は中国側パートナーに任せていました。合弁会社は合弁パートナーの広大な温室群の一部を借りることになりました。地術者は日本から派遣しました。
 

 その当時、中国ではまだミディ胡蝶蘭の栽培技術がなく日本の園芸会社が栽培方法を指導し、中国人の作業員は日本の会社で研修しました。そうやって浙江省の合弁パートナーの温室群でミディ胡蝶蘭の栽培が始まりました。1年後、董事会が開催され日本の園芸会社の社長が浙江省の温室を視察しました。温室では様々な色の花をつけたミディ胡蝶蘭がびっしりと咲いていますが、社長は白い胡蝶蘭の在庫が多いことに気付きました。

 社長 「白い胡蝶蘭の栽培技術を教えたはずだが、白い胡蝶蘭の在庫が多すぎる」
 総経理「白い胡蝶蘭は売れません」
 社長 「どうして?おめでたいとき贈る花だ」
 総経理「中国では白い花は葬式の花ですから代理店は関心を持ちません」
 社長 「日本では白の胡蝶蘭は慶事の花。一番売れている。あなたたちに売る気がないからだ」

                                                  (温室の様子)


2. マーケテイング

 日本の園芸会社の社長は白いミディ胡蝶蘭の栽培技術では日本でもトップクラスの方で多くの賞を受けていた成功者でした。日本の成功体験を中国で再現する、という夢を抱く方は少なくありませんが、多くは失敗しています。その原因は、中国の文化や中国人のライフスタイルをリスペクトできない、日本で成功したから中国でも成功するという驕りにあります。社長は私にアドバイスを求めて来られました。

 社長 「白い胡蝶蘭を中国で流行らせたい。絶対に売れるはずだ」
 私  「では、白い胡蝶蘭にどういうイメージを持つかアンケート取りましょう。
     その結果で販売戦略を考えましょう」
 

 そこで、友人、知人、大学の学生や職員(その当時、私は上海交通大学法学院で授業をもっていました)などに白い胡蝶蘭に対するイメージ等のアンケートを取りましたが、中国では流行の最先端を行く上海でも、葬式のイメージが強く販売は難しいと分かりました。それでも日本の園芸会社は中国側と販売戦略で激しく衝突したため合弁を継続する意思がなくなっており、自社の持分を中国側パートナーに譲渡して合弁を解消し、上海で独資として再出発する意思を固くしていました。


3. 合弁解消交渉

 合弁会社の中国側パートナーは浙江省の地方都市で花を栽培する園芸会社ですが、その地方都市はグリーン都市を政策にしており、有機農法で作られた農作物や観賞用の花の販売で収益をあげており、中国側パートナーには地方政府から補助金が支給されており、合弁解消は中国側パートナーのメンツを潰すもので反対されました。

 出資比率が1対1であるため合弁解消の採決が成立しません。交渉は難航していたときに事件が起きました。胡蝶蘭は苗を仕入れて育成しますから入荷した苗の数と成長した花の数は一致するはずですが、花の数が大幅に足りないことが判明しました。

 合弁会社の温室は中国側パートナーの温室を借りており、合弁会社の花が中国側パートナーの花として出荷されていたのです。管理責任者はもともと中国側パ-トナーの従業員でした。監視カメラを設置していたため管理責任者は流用を認め地元政府も合弁解消はやむを得ないと理解し、中国側パートナーが日本側の持分を買い取ることで合弁は解消することになりました。

 そこで持分の価格を算出することになりました。そのためには直近の貸借対照表を作成しなければなりません。上海から会計士に来てもらい一週間かけて会計監査をしました。横流しされたおびただしい数の胡蝶蘭の数が分からない上に中国側パートナーの総経理が自分の経営する別会社と利益相反取引をしていたことも見つかり純資産が計算できません。中国側が合弁解消に反対した理由は不正会計を隠すこともあったのでしょう。地元政府も会計士の監査報告書を無視することはできず中国側パートナーが損害を補填することで合弁は解消することで決着しました。譲渡代金は所得税を納付したあと日本へ送金されました。


4. 園芸会社の温室は農地か建物か

 譲渡代金を資本金にして上海で独資会社を作りましたが、問題は温室です。浙江省の合弁会社の温室は合弁パートナーの温室を借りていたので気にかけていませんでしたが、外資の独資会社が温室を確保することは簡単ではありませんでした。

 中国の土地は国有地と農民の集団所有の二種類あります。住宅や工場は国有地の上に建てますが、国有地の所有権は国(地方政府)にありますので、国から土地使用権の払下げを受けなければなりませんが、園芸は農業ですから払下げを受けることができません。一方、農民の集団所有地は原則的に農業以外に使用できない上に他人に貸すことができません。

 浙江省の合弁会社の温室は、農民の共同所有の上に農民の経済利益を管理する鎮政府の会社が建てた農業用建設物で、中国側パートナーは温室という建物を借り、それを合弁会社に無償で転貸ししていたのです。

 上海市郊外にも鎮政府の会社が建てた温室はありましたが、外国企業に農地を貸すことはできないという回答でした。我々は、胡蝶蘭は農地で栽培するものではなく、農地の上に50センチくらいの高さで棚を敷き詰め、その上で鉢植え栽培をすることを説明し、農地を借りるのではなく棚付きの建造物を貸してほしいと説明しました。鎮政府の理解を得て温室の中に棚を建造してもらいそれを丸ごと借り受けることにしました。それでも「土地管理法」に触れていると上海市政府から指摘される不安がありました。

 そこでお互いに知恵を出し合い「ハイテク技術を駆使した科学的園芸研究拠点」としました。胡蝶蘭の栽培には繊細な温度や湿度の管理が必要で、それにはIT技術を駆使します。また、苗は無菌室で培養しますのでクリーンルームが必要です。設計図を広げながら鎮政府は上海市政府に将来のハイテク農業のモデル基地になると説明しやっと許可されました。ミディ胡蝶蘭は上海市では少しずつ受け入れられましが、白い胡蝶蘭の栽培は全体の10%程度に抑えました。会社は順調に成長しコロナ禍も乗り越え今も上海市でミディ胡蝶蘭を栽培しており、物流技術も改革を重ね上海市以外の都市にも配送されています。


4. 清明節

 白い胡蝶蘭にこだわったためか中国の葬儀の風習にも関心を持ちました。人口が日本の10倍の中国では単純計算しても葬儀の数も10倍になります。一方で中国の葬儀会館(これを殯儀館といいます)は基本的には地方政府が経営する国有企業で職員は公務員です。殯儀館の数が少ないため葬儀は順番待ちです。農村では自宅で葬儀をしますが斎場は順番待ちです。かつて上海市では長く土葬の風習があり、その跡地は今では公園になったりしています。迷信深い中国ではその跡地にビルなどの建造物を建てたりしないと聞きました。

 中国人は日本人と同様に先祖を敬う気持ちが強く、日本のお盆に相当する「清明節」があります。清明節では仕事をせずに墓参りをします。至る所で白い花を持った人を見ることができます。やはり白い花は葬儀の色のようです。

 中国では墓は何かの象徴になります。南京市にある孫文の墓(中山陵といいます)は広大な山の中にありますが、清王朝を倒した建国の象徴になっています。逆に第二次天安門事件で学生たちに支持され退任した趙紫陽には墓がありません。趙紫陽の墓が再び民主化運動の象徴になることを政府は危惧し墓を建てることを許可していないと言われています。

 


<筆者プロフィール>
大澤頼人(おおさわ・よりひと)
伊藤ハムにおいて約 30 年間企業法務に携わる中で、 1997 年から中国事業にかかわる。同社法務部長(2000 年~2013 年)、同社中国常駐代表機構一般代表(2002 年)、同社中国子会社の董事、監事等を経て、2013 年に J&C ドリームアソシエイツを設立し代表に就任。日本企業の中国ビジネスやグローバルガバナンス体制作りを支援している。同志社大学法学研究科非常勤講師(2006 年~2022 年)、立教大学法学部非常勤講師(2015 年)、上海交通大学客員教授(2008 年~2011 年)、中国哈爾濱市仲裁委員(2018 年~2023 年)、上場企業の社外監査役なども歴任。