2024年11月13日公開
中国企業法務の軌跡(5)
J&Cドリームアソシエイ 大澤頼人
1. 単位とは何?
(1)中国の法律や政府からの通達には「単位」という言葉が頻繁に出てきます。「企業」という言葉が使ってあれば意味は素直に伝わるものの「単位」という言葉を使われると何か深い意味があるように感じて考え込んでしまいます。中国人に聞くと何とも説明しがたい顔をされ、挙句には「気にしなくてよい。企業と読み替えても問題ない」と言われます。では何故「企業」と書かないのだろうか?本当に「企業」と読み替えていても問題はないのだろうか?結論から先に言うと問題はないのですが、気になって仕方ありません。
英語では「unit」と訳されています。何を思って「unit」という単語を当てはめたのだろうか?「unit」には「集合」という意味もあるので企業単体だけを指しているのではないようです。何かの集団なのか、と疑問は深まります。中国の弁護士にも尋ねると、同じように今では気にしなくても良いと言われました。「今では」ということは、以前は意味があったということになります。
1930年から1940年にかけて、中国共産党は国民党との国共内戦で苦戦を強いられ、根拠地であった江西省瑞金から陝西省延安まで12,500kmを徒歩で移動したといわれています。これを「長征」または「大西遷」と言います。共産党には幾つかの組織がありましたが、延安では生きていくことすら困難な状況であったようです。党から配給される食糧では生きていけないため各組織は自給自足を強いられます。食料の生産だけでなく医療、生活道具の製造、学校、お互いの生活扶助もそれぞれの組織の中で自立して完結していきます。このような自給自足の組織のことを「単位」と呼んでいたようです。そういう意味では確かに「unit」です。「単位」という言葉には人を統治するための仕組みの意味があるように思えます。中国人は生まれてからそのような環境にいるので普通のことでしょうが、外国人には違和感があるのは当然です。
このような「単位」の考え方は、中華人民共和国の建国後、経済では国有企業へ、農業では人民公社へと引き継がれていきます。
(2)中国は資本主義を経験しないまま社会主義国になりました。つまり資本家が育っていなかった国ですから、産業のないまま建国がスタートします。そのため産業は国が興すしかありません。つまり国有企業が経済の柱になるわけです。
国有企業は学校、病院、商店などの生活インフラから社会福祉までパッケージで提供します。国有企業で仕事をすれば生活の不安もなければ老後の不安もない。1992年の社会主義市場経済政策が動き出すまでは、「人生は単位の中で始まり単位の中で終わる」ものだったのです。「単位」は狭い世界ですからお互いが監視しあう関係性があり、それが共産党一党支配を可能にしました。
そういう「単位」も次第に変貌を迎えます。国有企業が担ってきた社会的サービスという役割を国が担い、国有企業は純粋な経済組織になっていきます。社会主義市場経済は中国に投資家を誕生させ民営企業が中国経済を牽引していきます。生産拠点は工業園区に集約され、人々は「単位」の外のマンションに住むようになり、「単位」はその役割を終えたと言えます。法律文書にはまだ残っていますが、新しく作られる法律文書には「単位」という言葉は使われておらず「会社」とか「会社又はその他社会組織」などという言葉が使われ、主体や対象が明確になっています。ですから法律文書を読むときに「単位」という言葉が出てきても気にしなくてもよいということになります。
そうかといってお互いが監視する社会構造がなくなったわけではありません。代わりに誕生したのは「社区」であり、「社区」を統括するのが「居住委員会」です。コロナが流行した際、中国では住民の行動が制限され居住スペーから出ることができませんでした。居住スペースから出ようとすると監視していた居住委員会が公安警察に連絡をして違反した人を拘束しました。「単位」は実質的に崩壊しても相互に監視する社会構造は変わらないのです。
2. 人民公社とは何?
人民公社は既に存在していませんが、人民公社は「単位」の農村版になります。一つの郷(日本で言う村落)に一つの人民公社がありました。これを「一郷一社」といいます。人民公社は計画的な農業生産を指導したり、福利厚生を実施したりして農民の暮らしを支えました。このころの農村は「統一買付、統一販売」制度のため農作物は国に販売するしかなく価格も決められていました。従って農民の暮らしは楽になりませんが人民公社が農民を支えていました。
ところが1980年になって中国の農村政策は「生産請負制」に変わります。これによって農作物の一部は国に上納し、残りは自由に販売してよいことになりました。そうすると北京や上海のような大都市に近い農民は都市部で売れる作物を作って自由に販売するようになり、その結果、収入が増え豊かな農民が誕生します。人民公社の役割は終焉し、郷または鎮という地方政府(これを郷鎮政府といいます)がその役を担うようになります。
豊かな農民は郷鎮政府に財産を預け、郷鎮政府は高い利回りで運用するようになります。預かった農民の財産を投資に回したり、会社を作ったりします(これを郷鎮企業といいます)。郷鎮企業は例えば工場を建設して香港の企業や外資系企業にリースしてリース料収入を得たり(コラム4参照)、資源開発やインフラ事業に投資したりして収益を上げるようになります。
しかし、このような事例は都市近郊の農村だけで多くの農村の所得は都市部に比較すると半分以下の貧しさでした。それでも農村にとどまり農業を続けるしか収入を得る道はありませんでした。ところが1978年の改革開放政策によって都市部には多くの工場ができ工場労働者が不足するようになります。すると多くの農民が都会の工場などに出稼ぎに出ていくようになります。このような農民を農民工といいます。
3. 農村戸籍、都市戸籍とは何?
我々が中国工場を建設した2000年当初、中国は発展途上でしたが「単位」や「人民公社」は実質的に崩壊し都市には多くの農民工が働いていました。また国有企業からの転職者も多く、採用に困ることはありませんでした。
採用面接は中国人の人事担当者に任せていました。応募は製造部門と管理部門でした。応募者は面接のときに履歴書を持参してきます。面接を担当する中国人の人事担当者は管理部門には「農村戸籍」の人は採用できないと言います。
「戸籍は気にしないでいいから優秀な人を見つけてくれ」
「農村戸籍の人は管理部門では採用しません」
「能力と戸籍は関係ないでしょう」
「日本人だから分からない。都市戸籍の人は農村戸籍に人と一緒に仕事しないよ」
これは私と採用担当者の中国人とのやり取りです。都市の「単位」と農村の「人民公社」という二元的な支配構造は機能しなくなり、代わって戸籍による管理へと変わっていきます。戸籍制度は1958年の「戸口登記条例」によって誕生します。多くの農民が農村を離れ都市に集中することによって都市機能がマヒすることを避けるため移動の自由を制限する役割がありました。しかし改革開放政策で都市部には多くの工場ができ労働力が不足していました。そこで農村から多くの農民が都市部に移動するようになります。都市部には農村戸籍の人と都市戸籍の人が混在化しますが、それでも戸籍によって仕分けされ政府は監視しています。そのほか農村戸籍(中文では農業家庭戸)と都市戸籍(中文では非農業家庭戸)の格差は就職、大学、社会福祉などの面で歴然として残っています。
習近平は文化大革命時代に一家が農村に下放された経験があるためか戸籍の自由化を推奨し、2014年7月、「戸籍制度改革をより一層推進することに関する意見」を公布しました。これは、各地方政府に都市と農村の戸籍の一元管理の制度を導入するよう働きかけるものです。社会保険の一元化とも関連していて戸籍が自由化するにはまだまだ相当な時間がかかると思われます。
都市戸籍から農村戸籍への変更は難しいことではありませんが、農村戸籍から都市戸籍への変更はかなりハードルが高く、大学卒業後に都市部の一定の条件を満たした企業に就職し、それなりの評価を得た場合に限られています。設立されたばかりの小さな外資系企業はその一定の条件を満たすことはありません。ちなみに2022年の統計では都市戸籍の人口は45%、農村戸籍の人口は55%になっています。なお子供は母親の戸籍を受け継ぎます。
4. 档案という個人情報
このように中国人は生まれてから現在まで管理される社会構造の中で生きています。その管理手法のひとつに「档案」(dangan)があります。これは「档案法」という法律に基づく個人記録で、家族構成、戸籍、学歴、職歴、党歴、結婚、交友関係、受けた賞罰、思想信条、学校の成績まで細かく記録されています。これは地方の共産党の人事部が作成する個人情報ですが本人とその家族はこれを見ることはできません。
現在もこの制度が存続しているかどうか判然としませんが、2021年11月1日に施行された個人情報保護法は「档案」の存在意義に影響を与えるものと思っています。
「档案」は暗号データで保存されたものではなくアナログで記録された個人情報です。個人情報は政府が一元管理することが国の安全に関わると思っています。一方、インターネット社会では政府が知らない個人情報を企業が保有することになります。例えばネット通販会社には顧客の銀行口座、残高、購入する商品、嗜好性などのデータが保存されています。政府が「档案」では記録されない個人情報に強い関心を持ったとしても不思議ではありません。特に「档案」では海外に居住する中国人の個人情報は中断されたままになりますが、ネット通販会社の決済システムでは中断されているはずの海外居住の中国人の個人情報が記録されています。中国最大のネット通販会社アリババに対し中国政府は2020年、独占禁止法違反で介入したのも何かの前兆でしょうか?
<筆者プロフィール>
大澤頼人(おおさわ・よりひと)
伊藤ハムにおいて約 30 年間企業法務に携わる中で、 1997 年から中国事業にかかわる。同社法務部長(2000 年~2013 年)、同社中国常駐代表機構一般代表(2002 年)、同社中国子会社の董事、監事等を経て、2013 年に J&C ドリームアソシエイツを設立し代表に就任。日本企業の中国ビジネスやグローバルガバナンス体制作りを支援している。同志社大学法学研究科非常勤講師(2006 年~2022 年)、立教大学法学部非常勤講師(2015 年)、上海交通大学客員教授(2008 年~2011 年)、中国哈爾濱市仲裁委員(2018 年~2023 年)、上場企業の社外監査役なども歴任。