2024年09月19日公開
中国企業法務の軌跡(3)
J&Cドリームアソシエイ 大澤頼人
1. 人治社会と法務
日本で企業法務の経験を積み、また欧米諸国との契約交渉も経験していましたので、2000年初頭に中国での契約には不安はなかったのですが、ことごとく粉砕されました。中国の法律が整備されていなかったためと、中国側の企業法務が発展途上にあり、私にそれらに対する備えがなかったからだと思っています。
実際に経験したことですが、合弁相手の工場建物を借りることになりました。土地と建物に抵当権が設定されていました。中国民法でも「売買は賃貸借を破る」という原則はあります。合弁相手には弁護士がついていました。
「抵当権が実行されたら立ち退かないといけません」
「抵当権は実行されないから大丈夫」
「どうしてですか?」
「歴史的な事情です」
のちのち不動産登記制度の不備が原因だったと判明しますが、中国の弁護士が「売買は賃貸借を破る」という原理原則を知らなかったのも驚きでした。なんとか着地点を見つけ会社の了解を得ました。これについては別のときにお話しますが、ここで言われた「歴史的事情」は中国法務を理解するうえで役立つことがあります。
日本の法律は唯一国会で制定されます。それ以外に法律を制定する機関はありません。法律を実施するためガイドラインやそれを実施する機関も整備されます。
一方、中国は今でこそ法律は整備されていますが、2000年初頭の頃は法律が十分に整備されていませんでした。そのため経済成長を急ぐ中国では国内外の投資家による事業が法律の整備より先に動いていました。実務は法律を待っていなかったのですが、法務部は法的な安全を確保しなければなりません。このようなときは地方政府と交渉をして後々問題にならないようにしていました。
地方政府には投資がその地方の発展に貢献することを説明し、規制の有無を確認し、今後の進め方などを相談します。このとき我々を常に悩ましたことは、地方政府の責任者はいつも「心配ない」「事業は成功する」などと肯定的な答えを返してくるのですが、いざとなると実務は遅々として進まないことがたびたびあったことです。法律もガイドラインも整備されていないうえに海外からの投資を受け入れる実務経験も乏しかったためと思われます。
このように埒が明かなくなると地方政府の責任者に影響力のある人が登場することがあります。地方政府との交渉に限らず、企業間の交渉や紛争でデッドロックになったときでも影響力のある人物が登場して丁度いいところに着地することが珍しくありませんでした。ルールの隙間を埋めることができる人脈をもった人の「手配」のようなものがありました。これをもって世界は中国を「人治社会」だといいました。「人治」の対極が「法治」になります
法務部の仕事のツールは社会規範です。人治は社会規範の隙間に登場する「潜水艦」のような存在で、どこで誰と誰がどのような話をしているか見えません。法的な根拠がありませんから法務のプレゼンスを発揮する場面ではありません。法務部は一歩引くしかないのですが、事業部としても「人治」だけでは怖いので、結局、法務部が事業部門に伴走することになります。そして必要なときにリーガルチェックをすることになります。一般的に海外法務のリーガルチェックは弁護士の支援を受けますが、当時の中国では日本企業の立場でリーガルチェックができる弁護士が少なく、結局、日本の法律事務所のネットワークを頼ることになり二重の手間がかかる時代がありました。
現在では中国は法律も司法制度も整備*1され、中国の弁護士の質も高くなり人治に頼る場面は少なくなりましたが、人治は中国の歴史的な慣習ということもあり、今でも消えたわけではありません。
*1)中国の司法試験で弁護士、裁判官、検察官が同じ試験を受けるようになったのは2018年の法律職業資格試験以降。それ以前は、弁護士、裁判官、検察官はそれぞれ別の試験であった。裁判官や検察官は別枠で軍人出身が多く採用されていた時代がある。弁護士については2001年から2017年まで旧統一司法試験が実施されていたが受験資格は法律職業資格試験と異なり法学教育の経験は不要であった。
2. 社会主義社会と法務
先ほどから地方政府と何度も言いましたので、ここで地方政府について簡単な説明をしようと思います。ご存知の方は飛ばしてください。
ご承知の通り中国は社会主義国です。中国の社会主義国思想は、「マルクスレーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論」という3本柱でしたが、2018年に憲法が改正されて「習近平の社会主義思想」が追記されました。このような思想を持った共産党が国を「指導」するという構造になります。実は日本語訳では「指導」になっていますが中国語では「領導」という理解です。指導と領導では意味が大きく異なります。領導には強制力が働きます。外資系企業といえども中国で仕事をするということは、どのような形であれ権力を持った中国共産党と向き合うことになります。中国で仕事をするときはこれを受け入れなければなりません。私は頭では理解していましたが、共産党というベクトルを受け入れて仕事ができるようになるまで10年以上を要しました。
さらに厄介なのは政府には中央政府と地方政府があり、地方政府はさらに細分化されていることです。中国は広いうえに民族や言語を異にする地方が多くありますから、中央政府は大きな方針を出し、その実施を地方政府に任せます。これを「授権」といいますが。だからといって地方政府に自由な裁量はなく、全土に張り巡らされた共産党組織からの指導を受けながら法律を執行することになります。
最初の壁は地方政府の許認可です。進出するにしても撤退するにしても当時は地方政府の許認可が必要でした(現在は不要です)。進出の認可を申請するとき、政府の開発担当者と話し合いを重ね、投資効果(地域産業や雇用の創出など)を中心に事業計画書を作成します。投資効果の数値化を何度もやり直しを求められたのは計画経済時代*2の名残でしょうか。実現困難な数字でも最初の数字が大事なようです。このような体質は今でも残っているようで、特に国有企業と共同事業をするときは大きな数字が求められます。
地方政府は工場を借りるための不動産会社を紹介してくれることもあります。あるとき地方政府から勧められた不動産会社に案内された工場がありました。どう見ても工場の一部が農地の上に立っています。
「一部はまだ農地ではないのですか?」
「近いうちに工業用地に変更になる」
「そういうことではなく今まさに農地に建っているから違法建築ではないか?」
「近いうちに合法になる」
どうしても誘致したいという思惑が見えるので、地方政府の担当者に事情を話しました。「大丈夫です、解決できます」という返事でした。こういうやり取りは地方政府では日常茶飯事でした。中央政府からのノルマがあったのでしょう。
事業部門は便宜を図ってもらえそうなのでその物件を借りたいようでしたが、法務部はリーガルリスクがある限り契約に反対しました。私はそれ以降、政府の資本が入っている企業との交渉には注意をするようにしています。確かに戦略的に国有企業とジョイントすることが有益な事業もありますが、その場合は共産党の政策や人事異動には注意するようにし出口を明確にした契約を交わすことにしています。
*2)経済の資源分配を市場にゆだねるのではなく国が管理するシステム。鄧小平の改革開放政策が導入される前まで実施されていた。
3. 奇妙な契約と法務
ここで契約に関し中国人のしたたかさについて触れます。2000年前後に流行した広東式委託加工についてはご存知の方もおられると思います。中国の経済成長を支援した奇妙な契約なので簡単に説明します(とはいってもかなり複雑ですが)。
広東省に珠江デルタ地帯と呼ばれた工業地帯があります。その中心になったのが東莞(トンガン)です。今も多くの日系企業が操業していますが、2000年初頭は5階建ての1棟のビルの中に今以上に多くの外資系企業の製造ラインが並んでいました。東莞はもともと農村です。農地改革である程度の自由作付け、自由販売が認められたところ、深圳、広州、香港などの大都市を近くに控えていた東莞の農民は富裕層になります。金融機関が発達していなかったので農民は鎮政府に利回り30%くらいで資金を預けます。鎮政府はこれを投資に回します。簡易なビルを建て香港企業に貸します。香港企業は鎮政府と委託加工契約を結びますが、機械は香港企業が鎮政府に無償でリースし、従業員は鎮政府が出稼ぎ農民と雇用契約を結びますから外見上は鎮政府が経営する会社のように見えます。香港の会社は投資もしていないので登記もしません。法人税もかかりません。鎮政府の会社は香港の会社の委託を受けた製品の加工をします。技術者は香港の会社が紹介します。香港の会社は鎮政府に加工賃を払い、製品を販売します。今ではこのような方法は残っていないと思いますが、法人税を免れるための契約のアイデアは見事です。
<筆者プロフィール>
大澤頼人(おおさわ・よりひと)
伊藤ハムにおいて約 30 年間企業法務に携わる中で、 1997 年から中国事業にかかわる。同社法務部長(2000 年~2013 年)、同社中国常駐代表機構一般代表(2002 年)、同社中国子会社の董事、監事等を経て、2013 年に J&C ドリームアソシエイツを設立し代表に就任。日本企業の中国ビジネスやグローバルガバナンス体制作りを支援している。同志社大学法学研究科非常勤講師(2006 年~2022 年)、立教大学法学部非常勤講師(2015 年)、上海交通大学客員教授(2008 年~2011 年)、中国哈爾濱市仲裁委員(2018 年~2023 年)、上場企業の社外監査役なども歴任。